江戸時代の奇妙な園芸植物


 徳川家康が1603年に征夷大将軍に任官され、徳川慶喜が1867年に政権を返上するまでの264年間を江戸時代と言います。時代の最初と最後の短い期間を除いて、この間、あまり大きな戦乱も無く、社会も安定し、平穏な世の中が続きました。平和があって初めて文化や芸能が成長するといわれるように、江戸時代は園芸が大きく発展した時代であり、それは世界的に見ても最高水準のレベルに到達していました。現代も、ガーデニングなどとカタカナ文字になり海外の植物も多数導入されて園芸が発達しているように感じられますが、江戸時代と比較すると、愛好者層の広がりや社会の認知度などで、まだまだ低レベルにあることは園芸関係者の共通する意見です。1945年から戦後まだ60年余しか平和な時代が継続していませんので、確かに、それは仕方がないことなのかもしれません。時間で考えると、現在は、江戸時代が到達した文化のレベルの四分の一程度にしかならないと申せましょう。

 今の時代の園芸で人気の植物といえば、「バラ」、「ラン(コチョウラン、シンビジウム)」、「ユリ」などで、少し渋めで、「苔玉盆栽」、「小品盆栽」などではないでしょうか。経験浅い初心者は、ぱっと見て派手なもの、きれいなものに強く惹かれます。ところが、園芸の経験を積んで、眼が肥えてきた日本人はちょっと違います。外国で改良された植物には、大輪、カラフルでゴージャスさでは一番でも、草姿を含めると何となくだらしがない感じがするものも多く、日本人的感覚からすると少し疑問なものもあります。香りについても、オリエンタル系ゆり交配種のようなやたらに強い香りよりは、東洋蘭のように、離れたところで、ふっと微かに匂うという点を良いと感じられる日本人も多いのではないでしょうか。例えば、ユリやツバキなど、日本原産の植物が驚くような大輪で派手な色彩に変化して日本に導入されていますが、目新しいうちは良いものの、やがて何となく飽きてくるものです。ツバキの日本独特の改良品種にワビスケという系統がありますが、これなどは、まさに日本人的な感覚の改良だと思います。最初は地味に感じても、飽きのこない良さがだんだんわかってくるものです。グローバル化した現代においても、日本人的な文化を持って、侘び寂びを感じることのできるルーツを持っている人の感性は、日本独特のものであり、誇るべき特色だと思います。この点では、園芸も能などの芸能に相通じる点が多く、まさに、「秘めたるが花、秘さずば花なるべからず」ということではないでしょうか。そして、盛りを過ぎて、「非主流で衰退しつつあるものが控えめに主張する中の美しさ」に気づくことが大切ではないでしょうか。



歌川国貞(1786-1864)作「市美弥景姿の副贔屓」 園芸の経験を積んでくると、何の変哲も無いもののなかのちょっとした違い、一見鑑賞のしようの無いものの中に潜む隠された美などに、たまらない良さを感じるようになるものです。つまり、多数の人には「どこが良いのだろう?」という感覚を抱かせる変な植物が流行することになるのです。江戸時代にはそのような奇妙な園芸植物が沢山あり、大流行しました。そこで、現在では限られた愛好家しか栽培していない、江戸時代の奇妙な植物を紹介したいと思います。上の表は、いくつかの文献から、江戸時代の主な植物の流行を表にしてみたものです。ピンク色は流行していた、赤色は大流行していたと考えられる時期を示しました。限られた資料しか参考にしていませんので、さらに新しい史料により変わることもあるかと思いますので、目安として参考程度に眺めてください。過密化のためか、年代を経るに従い、木が主で比較的場所をとる植物から、小型で狭いところでたくさん栽培できる植物に流行が変遷し、特に、江戸末期になると奇妙な植物がたくさん出てくることがわかります。

 左絵は、江戸時代後期の絵師、歌川国貞(1786-1864)作「市美弥景姿の副贔屓(いちみやげすがたのふくびき)」です。歳の市に出ている植木屋の出店を描いたものです。歳の市とは、その歳最後の市で年末大売出しのようなものです。正月用品だけでなく、このような園芸植物も商売物になっていたことがわかります。江戸時代は太陰太陽暦でしたので、新年は現在の太陽暦の2月頃になり(例えば、太陰太陽暦の2007年1月1日は現在の暦では2007年2月18日になります)、多少の促成栽培はされていると思いますが、年末にフクジュソウやウメなどが開花して売られているというのはより自然の姿に近いということがわかります。現代は、太陽暦の新年にむりやり合わせて、強力な促成栽培で寒そうにフクジュソウやウメが年末の店頭に並びます。この絵を良く見ていただくと、植木棚上段、雲竜梅のように仕立てた紅梅の角鉢の盆栽の右に、壷のような形の鉢に植えられた草のようなものがあることがわかると思います。これは何でしょう。

 これが、マツバラン(Psilotum nudum)という奇妙な植物です。ランという名前でも、原始的なシダの一種です。日本の暖かい地方の木や岩などに着生したり、土から生えたりしています。これは江戸時代終わりごろに流行した植物です。とても原始的な形態をしていて、地上部は葉がなく分枝する茎だけで、花も咲かず胞子が付くだけです。地下には地下茎と仮根という原始的な根のようなものがあるだけです。つまり、根も葉も無い植物です。草丈も30cmには満たない小さなもので、はっきりいって、ひねくれて育っているスギナのような感じです。一般の人がみたら、食べられないし、花も咲かない、ただ棒状の茎が伸びたり枯れたりするのを鑑賞するだけで、この植物のいったいどこが良いのかさっぱりわからないと感じる人も多いはずです。1836年の「松葉蘭譜」には122品種が掲載されていたそうで、その頃に栽培が盛んだったことがわかります。下の3枚の写真は、現在、品種として栽培されているものです。茎の色の違い、曲がり方、太さ、分枝の違いで、細かく品種が分化していて、様々な名前が付けられています。左は、錦玉(きんぎょく)という品種で、明るい黄色で最も良く普及しているものです。真ん中は、鳳凰柳(ほうおうやなぎ)で、日光の弱い場所で栽培すると、茎が枝垂れ柳のように枝垂れ、茎の緑色が濃いのが特長です。右は、蟹葉文龍(かにばぶんりゅう)で、蟹のはさみのように二股に分かれていく太い枝が魅力です。これらの写真の下に有る左側の2枚の写真は、らせん状にねじれて伸びる茎が印象的な雲龍獅子(うんりゅうじし)と、先端が詰まって杖の先端のようになる霊芝角(れいしかく)です。目立たない中にもさまざまな芸があり、じっくり鑑賞していると、実に深い味わいがあります。本当に園芸が好きな人しかこの良さは理解できないという優越感もあって、私もなかなか好きな植物のひとつです。自然界では、松の葉のように単純に分かれる茎を持つだけの植物から、このように変化に富んだ品種をそろえるようにした人々の努力を考えると、とても感慨深いものがあります。

マツバラン(<I>Psilotum nudum</I>)錦玉(きんぎょく) マツバラン(<I>Psilotum nudum</I>)鳳凰柳(ほうおうやなぎ) マツバラン(<I>Psilotum nudum</I>)蟹葉文龍(かにばぶんりゅう)
マツバラン(<I>Psilotum nudum</I>)雲龍獅子(うんりゅうじし) マツバラン(<I>Psilotum nudum</I>)霊芝角(れいしかく) イワヒバ(<I>Selaginella tamariscina</I>)の冬季の姿
 イワヒバ(Selaginella tamariscina)も、江戸時代に大発展したヒカゲノカズラ科に近縁のイワヒバ科のシダ植物です。江戸時代のベストセラーの園芸書である、三之丞伊藤伊兵衛が1694年に著した「花壇地錦抄」にも、葉の見事な観葉植物の項に、巻柏(長生不死草・岩松)として記載があり、葉が短く詰まった方が良い種類だということで2種類の記載があります。ソテツ、ヒトツバ、シノブ、フウチソウなど共に、日本最古の観葉植物として取り上げられたものと言えるのではないでしょうか。そして、江戸末期の1860年には、85品種が岩檜として記載されています。東アジアの岩場などに生える植物で、冬に雨が少なくなると葉を丸めてまるで枯れたようになります(上右側の写真)が、春になって雨が降ると元通りに葉を広げて成長を始めることから、その強靱な生命力を称えて、長生不死草と呼ばれたのでしょう。岩場に生えるヒバ(檜)のような葉を持つ植物なので、イワヒバと呼ばれます。葉の形状や斑の入り方でいろいろな品種が区別されています。この仲間には、熱帯地方のセラギネラ属の植物が観葉植物として近年普及したり、数年以上の乾燥に耐え水を与えるとたちまち緑を取り戻して広がるジェリコの薔薇と呼ばれるメキシコ原産の復活草(Selaginella lepidophylla、テマリカタヒバ)が輸入されて一時ブームになったり、日本に自生していなかったとても美しい色のコンテリクラマゴケ(Selaginella uncinata)は各地で逃げ出したものが野生化して問題になったりと、いろいろなエピソードがあります。下の写真左は、龍頭(たつがしら)という品種で、成長する時期に細長い葉先が黄色くなり、さわやかな美しさがあります。真ん中は、銀嶺(ぎんれい)という品種で、成長期にはうろこ状の葉が白く染まり(砂子斑)異彩を放ちます。右は、日乃出鶴(ひのでづる)という品種で、新芽がオレンジ色に染まり、日の出の光の中に、彩雲を背景に何羽かのツルが飛んでいく姿を髣髴とさせ、まさに名前の通りの美しい品種です。成長もゆっくりしていて場所をとらず、秋には赤く紅葉するものもあり、現代でももっと人気の出て良い植物だと思います。
イワヒバ(<I>Selaginella tamariscina</I>)龍頭(たつがしら) イワヒバ(<I>Selaginella tamariscina</I>)銀嶺(ぎんれい) イワヒバ(<I>Selaginella tamariscina</I>)日乃出鶴(ひのでづる)
 「引越しおもと」という言葉をご存知でしょうか。日本では、引越しのときに転居先にオモト(Rohdea japonica)を贈る習慣があります。江戸時代の初期、1606年に徳川家康が江戸城に入城するときに、故事に倣って贈られたオモトを大層気に入って城の床の間に真っ先に飾ったことから、この時代から積極的に広く栽培されるようになったといわれています。オモトは、日本を初めとする東アジア原産のユリ科の植物です。オモトは「万年青」と漢字で書かれるように、冬でも枯れない緑の葉と、赤い実が特長ですが、食べると死ぬ危険のあるほどの強心作用の毒を持つ毒草(特に根部)です。江戸時代には、これが改良され、様々な形や斑入りの品種が作られました。左右に広がる葉の展開の仕方、斑の入り方、竜と呼ばれる葉へのしわの入り方、全体の形の端正さなどを鑑賞します。下の左の写真が、於多福(おたふく)という古くからある品種です。白い覆輪が目立ち、葉色も濃く、丈夫で育てやすいものです。中央は、縞獅子(しまじし)と呼ばれる系統で、斑の入った葉が渦巻状に巻きます。これを獅子葉といいます。右は、根岸の松(ねぎしのまつ)です。モザイク状の斑入りは、千代田斑(根岸斑)と呼ばれ、大変美しいものです。このほかに、オモト特有の図斑(境界のはっきりしたもの)や虎斑(境界がぼけたもの)など、とても美しい斑の入り方をする品種があります。斑や竜は育て方によっていろいろと変化し、一度その美しさの虜になると、熱烈な愛好家になるようです。オモトは、現代でも比較的愛好者の多い植物と言えるでしょう。
オモト(<I>Rohdea japonica</I>)於多福(おたふく) オモト(<I>Rohdea japonica</I>)縞獅子(しまじし) オモト(<I>Rohdea japonica</I>)根岸の松(ねぎしのまつ)
 ナンテン(Nandina domestica)は、日本、中国に原産するメギ科の植物で、南天という漢字をあてるほかに、難転(なんてん)と書いて難を転じる縁起の良い植物として、赤飯の添え葉や、箸などに利用されたり、屋敷に植えられます。栽培がもっとも盛んだったのは文政年間(1818〜1830)で、1829年の「草木錦葉集」では、25種の記載があります。また、1884年の「南燭品彙(なんてんひんい)」という専門書では、122品種が記載されています。南天の葉が奇形になったもの(葉変わり)を品種としたのが、錦糸南天です。糸状や棒状になって、どうみても元の南天の葉とは似ても似つかない形状になっています。現在では、多くの品種が失われ、多種を手に入れるのはなかなか困難になっています。失われた品種を探して、コレクションするのも楽しいでしょう。どうしてこのような変な形状の葉を好むようになったのか、不思議です。でも、紅葉する品種も多く、盆栽を育てるような渋い味わいがあることも事実です。下の写真をご覧になって、皆さんはどう感じますか。なかなか良いと感じられるようなら、江戸人に匹敵する美のセンスがあるのかもしれません。下の写真左は、織姫(おりひめ)という比較的普及している品種です。糸のような葉になり、秋になると赤く紅葉して美しいものです。中央は、赤縮緬(あかちりめん)という品種で、ほとんど葉が付かず葉柄が寸の詰まった茎に密について、ぼさぼさの頭状になります。右は、玉姫(たまひめ)という品種で、やはり、ほとんど葉がつかず葉柄が伸びていきます。これらを見せてもとても南天とは気づかないでしょう。
ナンテン(<I>Nandina domestica</I>)織姫(おりひめ) ナンテン(<I>Nandina domestica</I>)赤縮緬(あかちりめん) ナンテン(<I>Nandina domestica</I>)玉姫(たまひめ)
 下の左の写真は、上の赤縮緬の冬の姿です。このように、赤くきれいに紅葉するので、赤縮緬と呼ばれます。ちなみに、紅葉しないものを青縮緬といいます。下の中央の写真は、曽我筏という品種です。これは、右下の写真のように、分枝した茎や葉柄が癒着して、まるで材木を結びつけた川を渡るいかだのような形になるので、こう呼ばれます。
ナンテン(<I>Nandina domestica</I>)赤縮緬(あかちりめん) ナンテン(<I>Nandina domestica</I>)曽我筏(そがいかだ) ナンテン(<I>Nandina domestica</I>)曽我筏(そがいかだ)の筏芸部分
イセナデシコ(<I>Dianthus ×isensis</I>)桃色(赤)花系統 イセナデシコ(<I>Dianthus ×isensis</I>)桃色(赤)花系統  左の2枚の写真は、イセナデシコ(Dianthus ×isensis)です。これは、中国原産のセキチク(Dianthus chinensis)が薩摩に伝わり、それが伊勢に伝わって変化したものと江戸時代の書籍に記述があり、日本に自生するカワラナデシコ(ヤマトナデシコ、Dianthus superbus var.longicalycinus)とは系統が異なるもののようです。伊勢と名が付く園芸植物の系統は、伊勢系花菖蒲、伊勢菊など、豪華で、襞や縮れなどの奇形が妖艶な感じを与えるものが多く、独特の地域文化を醸し出しているといわれています。伊勢撫子は江戸時代の後期に流行し、髪の毛を振り乱したような花を咲かせます。写真は私が栽培している系統で、それほど花弁が下垂しませんが、下垂する長さや花型を競ったのではないでしょうか。品種改良や栽培法の工夫で一尺八寸(50cm強)に達したという記録もあり、鉢の下まで垂れるような長いものがあったようです。品種として、「初日の出」、「春霞」、「福白髪」などがあったそうですが、現在では、白花系統と桃色(赤)花系統など、花色別に大きく分けられて販売されている程度で、花弁の長さが特に長い品種などが区別されているわけではありません。

 上記で紹介した植物栽培が盛んだった時代に創出された多数の品種は、ほとんどが太平洋戦争(第二次世界大戦)で失われました。200年以上にわたって醸成された文化は、戦争によって、いとも簡単に失われてしまったのです。美しいものを愛でる余裕のない人生や社会は不幸なものだと思います。世界では今もさまざまな紛争が起こっていますが、これらが一日も早く解決し、平和な時代が一日でも長く続くことを祈りたいと思います。

 このほかにも、江戸時代にブームになった植物として、カラタチバナ、フクジュソウ、セッコク、ソテツ、アサガオなどもありますが、ここでは、現代では比較的なじみの薄い植物を、奇妙な植物として採り上げました。


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